雨のち、木漏れ日。

労災事故の加害者になった今、自分に出来ること。

事故から3日目、保険会社へ相談

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専門的なことは分かりませんが、脳が緊張しているせいなのか、ぐっすり眠れず何度も目が覚めました。この先いつまで眠れない日々が続くのか、漠然とした不安が頭をよぎります。

 

外はまだ夜明け前で、開け放った窓からは蛙や昆虫の鳴き声など自然の音や、近くを走る車などの人工的な音が聞こえ、「みんな生きてるなぁ。」と思いました。この時点では、生死について深く考えることができない状態でした。

 

表現が適切かどうかは分かりませんが、思考が幼児的というか、直接的というか、事象に対して感じるだけで精一杯という感じでした。魂だけが体から抜け出て、自分の体を上から見下ろしている感覚でした。防衛本能が働いて、客観的に自分を見つめることで、自分を守っていたのかもしれません。

 

この日は会社を休ませていただき、代理店の方と保険会社でアドバイスを受けるため訪問しました。事故の詳細を話しましたが、やはり昨日代理店の方から教えていただいた通り、業務中の事故(労災)は、個人賠償責任保険は適用されない、また、自動車保険も同様だと分かりました。

 

なので、今回のような労災事故の場合(私個人の保険での事故対応)の明確な対応策は教えてもらえませんでした。

 

そして、一般的な交通事故の場合での加害者の対応策としては、保険会社がご遺族に対して損害賠償の交渉(示談交渉)を行っていくので、加害者自身はお通夜の参列や節目などでのお参りといったことで、誠意をお伝えしていきますと教えてくださいました。

 

そこで私は、

 

「お通夜での御香典の額は幾らがいいのですか?」

 

と、お聞きしたところ、

 

「それはご本人のお気持ちです。」

 

と、具体的な金額は教えてもらえませんでした。

 

というのも、保険会社が示談交渉を行っていく際、加害者の御香典の金額も加味されて、過不足を調整していくそうです。そういった事情から、今回のようなケースではアドバイス出来ることがあまり無いということでした。

 

知りたいことが分からないまま悶々としていても仕方がないので、以前個人的にお世話になったことがある弁護士さんに電話して聞くことにしました。

 

事務所に電話して事務員さんに事情を説明して相談したい旨を伝えると、すぐに弁護士さんに代わってくださり、

 

「大変でしたね。」

 

と、まず私の心境を慮ってくださいました。

 

精神的にも落ち込み、これから先どのような対応をしていけば良いのか、不安で押しつぶされそうな状態の時に、私自身の気持ちを想像してかけてくださったこの短い言葉に、思わず胸が熱くなりました。

 

“相手の立場になって考える”

 

よくいろんな所で聞く言葉ですが、心が相手に寄り添っているからこそ伝わるものだと改めて実感しました。この時は電話での相談ということもあり、事故前後の経緯を説明しただけで、明後日にお時間を取っていただき相談させていただくことになりました。

事故翌日(出社)

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床についてもなかなか眠れず、眠ったかと思うと夢の中でもフラッシュバックがやって来て目が覚める、そんなことの繰り返しで朝を迎え起床しました。

 

いつもの習慣で新聞を取りに行き、地域欄のページを開くと事故の記事が大きく掲載されていて、事故現場の写真に私が写っていました。

 

昨夜、親交のある県議会議員の方に事故状況のあらましを報告し、新聞記事の差し止めができないか試みたのですが、結果は一方的な書かれ方で大きな記事になっていたので、火に油を注ぐ形になったのかもしれません。

 

後述しますが、新聞記事は記者個人の性質にもよるのでしょうが、いじめや集団リンチ的要素を大いに持ちうると思いました。この現実に触れて私は、「全てを受け入れて生きていくしかない。」と心に刻みました。

 

重苦しい気持ちを抱えて出勤し、昨日報告できなかった専務や他のスタッフ達に謝罪しました。一様に沈痛な面持ちであり、苛立つ感情を露わにして応対されるのがとても辛かったです。生きた心地がしないというか、針の筵にいるような気がしました。

 

その後、社長が出社されて一緒に事務所に入り、少しの時間だけ今後の対応策を話し合いました。社長もこの様な経験がないため、どの様に対応したら良いか判断に困る様子で、保険屋さんに問い合わせたり、インターネットで調べられたことを一般論として伝えてくださって、午前9時を過ぎた頃、被災者のご自宅へ向かうため社長と共に会社を出ました。

 

ご親戚一同が集まっておられるなか奥様が応対してくださり、ご自宅の仏間で棺に安置されている故人(被災者)を拝ませていただきました。故人のご兄弟から厳しくお叱りを受けましたが、加害者の私をご自宅に招じ入れていただいたり、故人のお顔を拝見させていただけたことだけでも、過分な対応をしてくださったと思います。

 

そして奥様は、お通夜とご葬儀の日程を教えてくださり、参列を許可してくださいました。

 

改めて私は、故人と会社が良好な関係だったことに深く感謝しました。

 

家中は何かとお取込みの最中であったため、早々に引き取らせていただきました。

 

帰社後、社長と専務と私の3人で、今後考えられる責任の取り方について話し合いました。当然金銭的なことが話題になり、

 

お通夜の時に持参する御香典はどれくらい包んでいけば良いのか?

 

そもそも御香典という形で良いのか?

 

世間一般的な水準でどれくらいの補償額なのか?

 

など、分からないことだらけです。

 

会社側としては、保険屋さんに相談して対応するとの旨を伝えられ、その回答で、被害者は会社と加害者に対して損害賠償を請求できる、香典は会社10万円、加害者10万円を包んでいくということでした。

 

私自身のことを少しお話させていただきます。

 

私はこの会社にお世話になりながら、小さな事業を始めていました。入社する際にその旨もお伝えして、今年1年間週4日勤務という約束で働かせていただいていました。

 

そういう事情から、私自身の事業に関係する皆さんに、当面事業を停滞させる旨をお伝えしました。皆さん新聞記事で事故の端末をご存じで、何となくお互いに気まずさがある感じだったので、用件のみの電話で終えました。

 

そのことがきっかけで、誰かと会う、話をするといったこと一つ一つが恐怖に感じ、どんどん自分の殻に閉じこもっていきました。

ご遺族との対面

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病院に到着して救急入口から院内に入ると、待合室には社長と奥さん、そして数名の患者さんが長椅子に座っておられ、社長と奥さんが座っておられる席に近づき、謝罪したのち着席を促されたので近くの長椅子に座りました。

 

社長が、「さっき検体が終わったところ。上の娘さんと下の娘さんのご主人が残っていて奥さんは先に帰られた。警察からご遺族にある程度の事故状況を説明されて、今はお二人でご遺体と対面されている。」と現状を教えてくれました。

 

静まり返った待合室は時間がとても長く感じられ、私は「どんな謝罪をすればいいのだろう?」とずっと考えていました。

 

 病院に到着してから30分ほど経った頃、ご遺族のお二人が待合室に来られて社長と奥さんに、「葬儀社さんに今から自宅の方に搬送してもらいます。」と言われました。そして病院職員の方の案内で裏口に通されて行くと、棺が車に乗せられ病院を出発するところでした。

 

車を見送り、社長がご遺族に、「彼(私のこと)が当事者です。夜も遅いですが私たちもご自宅にお伺いして、先に帰られた奥様やご家族に謝罪させていただきたいので少しだけお邪魔させてください。」と頼んでくださいました。その時点で初めて私は、「申し訳ございませんでした。」と頭を下げて謝罪しました。他に言葉が見つからず、ただただ頭を下げ続けることしかできませんでした。

 

ご遺族の方が、「ここでは何ですから。」ということでご自宅への訪問を許可していただいたので、私たちもご自宅に伺いました。

 

私は呆然と車を運転して社長の車の後に続いて行き、30分ほどでご自宅に到着しました。

 

玄関の前で待機していると、憔悴した表情で奥様が出てこられたので、私はその場で土下座して、「申し訳ございませんでした。ごめんなさい。」と謝罪し、事故後初めて涙が止めどなく溢れてきました。それまでは淡々と事実を受け入れ、その都度対応することで自分を客観視していたのかもしれません。それが、悲しみに包まれているご遺族の方々や、夜の静けさの中に家中の電気が煌々と灯っている状況を目の当たりにして、ようやく自分自身が現実世界に戻ったような気がします。

 

 

ここで、被災者と会社と私の関係性について簡単に触れたいと思います。

 

被災者はご高齢の方で、7年ほど前から会社に勤務するようになったそうです。社内レクレーションなどで若いスタッフたちとも親睦を深め、女性スタッフたちからも仕事のできる先輩として慕われていました。社長とも年代が近く、お互いに様々な相談をし合う仲だったそうです。そのような関係性だったため、毎日使命感を持って喜んで仕事に出かける姿を見て、ご家族は微笑ましく出勤を見送っておられたそうです。私は今年の4月から会社にお世話になりだしたばかりでした。

 

 

そのような関係性だったこともあってか、悲しみに耐えながらも奥様は私に対して、「そんなことせずに顔を上げてください。」と仰っていただきながら私の背中に触れてくださいました。

 

大切なご主人の命を奪った人間に対して、ここまで寛容な言葉をかけてくださる奥様に対して、私は頭を上げることができませんでした。普通なら罵声を浴びて塩を撒かれてもおかしくないのです。張り詰めていた心の糸が少しだけ緩んだ感覚を覚えました。

 

そして社長が奥様に対して謝罪し、明日改めて謝罪に伺う旨をお伝えして引き取らせていただきました。

 

ご自宅を離れて、社長と翌日の打ち合わせをしてから帰宅の途に就きました。

 

日付が変わる頃に家に帰り、家族に事故発生から様々な経緯を話し、少し食事を摂ってシャワーを浴びて床に就きました。

 

長い一日がようやく終わりました。

警察の取り調べ

 

 

救急車が現場を離れてから間もなく、警察から携帯電話に着信がありました。

 

すぐに2~3名の警察官が来られて、現場検証が始まりました。私を始め現場にいた全ての人は事故発生前後の状況を細かに聞かれました。

 

時間が経つにつれて警察官の人数がどんどん増えていき、最終的には10数名来られたと思います。それぞれ所属する部署が違うためか、複数の警察官に同じようなことを繰り返し聞かれ、その都度重機に乗り込んで事故発生時の重機の位置や操縦方法、重機操縦時の視界や死角などを再現しました。

 

また、現場責任者の所在や道路使用許可申請の提出状況など現場管理に対することも聞かれましたが、管理業務については全く担当しておらず答えられませんでした。

 

1時間ほど現場での検証が済んでから、「事故の経緯を詳しく聞きたいので警察署に来てください。」と言われたので警察署へ行きました。

 

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到着後すぐに取調室に案内され、入口で「携帯電話と財布を預からせてもらいます。」と言われたので、専用のトレーに入れて預けました。入室は午後6時頃だったと思います。

 

供述調書を取りパソコンで文章に起こしていく旨を伝えられ、その際に私の権利について説明がありました。

 

現場で聞かれたことをさらに詳しく、より具体的にといった感じで、自分が覚えている限りを嘘偽りなく話しました。私の拙い表現力では警察官の方が十分に理解しづらい場面では、警察官の方が別の表現で私の同意を得るような形で進めていくため、かなり長い時間がかかりました。

 

途中で、「自動車運転免許証と健康保険証のコピーを取らせてほしい。」と言われ、警察官の方が部屋を出て携帯電話と財布が入ったトレーを持ってこられたので、財布から取り出して提出しました。そして警察官の方がコピーを取って戻って来られた時に、外部との連絡が取れない状況の私に、「被害者の方(警察では被害者と表現される)どうなったかご存知ですか?」と言われ、「わかりません。」と答えたら、「亡くなられたそうです。」と伝えられました。その言葉を聞いて、とてつもない悲しみ、恐怖と不安が一度にやって来たことを今でも鮮明に覚えています。

 

何でこんなことになったのだろうか?

 

ご遺族や会社の人たちなど関係者にどう謝罪すればいいのだろうか?

 

これから自分はどうなっていくのだろうか?

 

社会人として世間に受け入れられるのだろうか?

 

これから生きていけるだろうか?

 

というようなことが何度も頭によぎっていました。

 

その後、供述調書の作成も終わりを迎え警察官の方が作成したものを印刷して来られてその供述調書を読み上げ、「間違いがなければ人差し指にインクをつけて押印してください。」と言われたのでその通りにしました。

 

最後に、「何か言っておきたいこと、聞いておきたいことはありますか?」と言われたので、「被害に遭われた方とご家族に大変申し訳ないことをしてしまいました、ごめんなさい。」と言い、「この先私はどのような処分を受けるのですか?刑務所に行くことになるのですか?」と聞きました。そしたら警察官の方が、「事故後の措置として119番通報をして、警察の取り調べに対しても素直に応じていますし、身元や現住所もはっきりしていて逃亡の恐れもないので、そのような施設に行くことはないと思いますが、道路上での事故なので運転免許証の停止や取り消しといった行政処分があるかもしれません。」と言われました。

 

その時、重機は自動車運転免許証で操縦士する機械じゃないけどなぁ?と疑問に感じましたが、取り消しになったら生活は根底から変わるなぁ、大変なことになってしまった、という思いだけが残って取り調べが終わりました。時計を見たらちょうど午後9時を回ったところでした。

 

そして携帯電話と財布が返却されて初めて家族に連絡を入れることができ、掻い摘んで状況を報告してから救急車に同乗していった社長に連絡しました。そしたらまだ病院にいると言われたので私も向かうことにしました。

事故発生

朝から夏の日差しがジリジリと容赦なく照り付ける日でした。

 

その日の作業は、山のふもとに林立する杉の木を、25tのクレーン車で吊って伐採する特殊な作業を、クレーン車の運転手を含めて7人で行っていました。現場は山裾から約3mの道路を隔てて民家が建ち並ぶため、慎重な作業が要求される場所でした。

 

伐採した木をクレーンで吊り降ろし、道路に仮置きして枝払いをして4tユニック車に積み込む、そんな作業の繰り返しでした。

 

午後4時を過ぎた頃から後片付けを始め、道路に山積みされた二つの枝葉の山を重機(0.2m3バックホー)でつまんで、山に捨てる作業に取り掛かりました。この現場では私が唯一の有資格者だったため、重機の操縦は私が担当しました。

 

クレーンの運転手と私以外の人たちは、道具を片付ける者、枝葉をつまみやすいように集める者、掃き掃除をする者に分かれて作業を行っていました。被災者の方は枝葉集める作業に集中されていて、途中何度も重機のすぐそば(アームの先端部分)に立ち入って来られるため、その都度重機を止めて安全を確保する、そんな状態でした。

 

手前の枝葉の山を一通り山に捨てる → 奥の枝葉の山を捨てる → 掃き集めた枝葉をさらにつまんで捨てる、といった感じで、奥の枝葉の山から手前の方まで、後進しながら連続して作業を行っていました。

 

そんな時に右側のキャタピラーが何かに乗り上げる感覚がありました。

 

「おかしいな?山の法面に乗り上げたかな?」

 

と思い、重機を150°程旋回して後方を確認したら、被災者の方がキャタピラーの下敷きになっていたのです。

 

慌てて重機のアームを山の法面に押し当ててキャタピラーを浮かして移動させ、被災者の体から離しました。その時に他の作業員たちがこの異常事態に気づいたのです。

 

なんと、事故の瞬間を誰も目撃していなかったのです。

 

私は気が動転して、「えっ、なんで!」と叫んだと思います。直前まで重機の前方で作業をされていたのに・・・。

 

そして、同じ現場にいた責任者(社長)に対して、私は「救急車連絡します!」と言って119番通報しました。

 

電話の向こうで消防署員の方に「落ち着いてください。」と何度も言われました。私はよっぽど焦っていたのでしょう。おそらく明確な電話応対ができていなかったのだと思います。通報から救急車が到着するまでの間、消防署員の方から「この音と同じリズムで心臓マッサージをしてください。」と指示されたので、スマートフォンをスピーカーにしたら、近くにいた別の作業員の方が心臓マッサージをしてくれました。

 

救急車が到着するまで数分だったと思いますが、ものすごく長い時間に感じました。 

 

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救急車到着後、救急隊員の方が蘇生措置を施しながら、「どなたか1名救急車に乗ってください。」と言われたので、社長が同乗して病院に搬送されていきました。

それでも生きる

その日は最高気温が31℃で朝から快晴の一日だった。業務も最終段階に入っていた時、私は死亡事故を起こしてしまった。

 

 

被災された方(労災事故なので被災者と表現)やご遺族の心境を思うと、「加害者の自分が心境を公にしても良いのだろうか?」と、今も葛藤が沸き起こってきます。

 

今やインターネットを開けば、いろんな疑問に対して回答を得られる世の中になりました。しかし、事故発生直後からこの予期せぬ出来事に対して、「加害者はどのように対応し、どのように事実と向き合い、自分を保っていけば良いのか。」という情報が得られませんでした。

 

被災者やご遺族に対して、間違った対応は絶対に許されない。なのに、様々な疑問に答えてくれる記事は見つからない。

 

「誰か教えてほしい、どうか助けてください!」

 

そんな風に感じて過ごした自らの不安な日々を詳らかにすることで、同じように苦心する人たちの一助になることを願い、ここに書き記していきたいと思います。