雨のち、木漏れ日。

労災事故の加害者になった今、自分に出来ること。

ご遺族との対面

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病院に到着して救急入口から院内に入ると、待合室には社長と奥さん、そして数名の患者さんが長椅子に座っておられ、社長と奥さんが座っておられる席に近づき、謝罪したのち着席を促されたので近くの長椅子に座りました。

 

社長が、「さっき検体が終わったところ。上の娘さんと下の娘さんのご主人が残っていて奥さんは先に帰られた。警察からご遺族にある程度の事故状況を説明されて、今はお二人でご遺体と対面されている。」と現状を教えてくれました。

 

静まり返った待合室は時間がとても長く感じられ、私は「どんな謝罪をすればいいのだろう?」とずっと考えていました。

 

 病院に到着してから30分ほど経った頃、ご遺族のお二人が待合室に来られて社長と奥さんに、「葬儀社さんに今から自宅の方に搬送してもらいます。」と言われました。そして病院職員の方の案内で裏口に通されて行くと、棺が車に乗せられ病院を出発するところでした。

 

車を見送り、社長がご遺族に、「彼(私のこと)が当事者です。夜も遅いですが私たちもご自宅にお伺いして、先に帰られた奥様やご家族に謝罪させていただきたいので少しだけお邪魔させてください。」と頼んでくださいました。その時点で初めて私は、「申し訳ございませんでした。」と頭を下げて謝罪しました。他に言葉が見つからず、ただただ頭を下げ続けることしかできませんでした。

 

ご遺族の方が、「ここでは何ですから。」ということでご自宅への訪問を許可していただいたので、私たちもご自宅に伺いました。

 

私は呆然と車を運転して社長の車の後に続いて行き、30分ほどでご自宅に到着しました。

 

玄関の前で待機していると、憔悴した表情で奥様が出てこられたので、私はその場で土下座して、「申し訳ございませんでした。ごめんなさい。」と謝罪し、事故後初めて涙が止めどなく溢れてきました。それまでは淡々と事実を受け入れ、その都度対応することで自分を客観視していたのかもしれません。それが、悲しみに包まれているご遺族の方々や、夜の静けさの中に家中の電気が煌々と灯っている状況を目の当たりにして、ようやく自分自身が現実世界に戻ったような気がします。

 

 

ここで、被災者と会社と私の関係性について簡単に触れたいと思います。

 

被災者はご高齢の方で、7年ほど前から会社に勤務するようになったそうです。社内レクレーションなどで若いスタッフたちとも親睦を深め、女性スタッフたちからも仕事のできる先輩として慕われていました。社長とも年代が近く、お互いに様々な相談をし合う仲だったそうです。そのような関係性だったため、毎日使命感を持って喜んで仕事に出かける姿を見て、ご家族は微笑ましく出勤を見送っておられたそうです。私は今年の4月から会社にお世話になりだしたばかりでした。

 

 

そのような関係性だったこともあってか、悲しみに耐えながらも奥様は私に対して、「そんなことせずに顔を上げてください。」と仰っていただきながら私の背中に触れてくださいました。

 

大切なご主人の命を奪った人間に対して、ここまで寛容な言葉をかけてくださる奥様に対して、私は頭を上げることができませんでした。普通なら罵声を浴びて塩を撒かれてもおかしくないのです。張り詰めていた心の糸が少しだけ緩んだ感覚を覚えました。

 

そして社長が奥様に対して謝罪し、明日改めて謝罪に伺う旨をお伝えして引き取らせていただきました。

 

ご自宅を離れて、社長と翌日の打ち合わせをしてから帰宅の途に就きました。

 

日付が変わる頃に家に帰り、家族に事故発生から様々な経緯を話し、少し食事を摂ってシャワーを浴びて床に就きました。

 

長い一日がようやく終わりました。